Introduction: ART as a Communication Tool

私にとってアートとは、個人の社会に対する姿勢を指します。「社会」その意味は多様です。人間と人間が出会うところに「他者」の概念が生まれ、「他者」との関わりあいかたへの考察は、やがて「社会」という概念に発展します。したがって、私の芸術活動は「あなた」と「わたし」との間にあって、コミュニケーションツールとして機能しています。

 

Background: The Epoch of the Globalization

今日、私達の社会はグローバリゼーションという、経験的な成長の時代に達しました。現在近代社会での、習慣的、経験的、政治的、経済的、環境的、多くの社会的運命はすべて、ジョントムリンソンが複合的結合性と呼んだ、相互関係の親密化の段階を迎えています。この複合的結合性についての考察は、グローバリゼーションの言説の中核をなしており、私は文化的な側面から、この複合的結合性が引き起こしている社会現象について興味を持っています。
急激な情報技術革新を通して、物理的に遠く離れた場所同士が、まるで隣接している環境同士のように依存し合い、「近代生活」を特徴付ける為に複雑な相互作用を起こしてます。以前は困難であった長距離間の出会いが、技術的な「ターミナル」 (情報的にも物理的な意味合いにおいても) を経由して、広く実現可能なもののとして確立されました。
このような新しい社会の様相は、「地球村」や「グローバルネイバーフッド」のような、強いイメージやメタファーを生産します。しかし、ちょうど強い光の下で淡い色がハレーションを起こしてしまうように、この種の強く「判り易い」コンテクストの下では、伝統から育まれた、かつて自明であった (自明であるからこそ「判りにくい」つまり「普通の」) ローカル性は、次第にその自明性を失いつつあります。言語による定義が難しい、場所の風土と親密な関係にある土地「柄」が、グローバルなコンテクストによるその「意味」の再構築、再提案を迫られています。自明であることの定義化は、時にしてその自明性を失わせます。私達は、例えば「私達」という自明的である言葉が一体何を指すものであったのか、このグローバル化が進行する状況の下で、今一度再考察する必要があるのかもしれません。

 

Point of View: The Meaning of Meaningless

近代消費者社会の重要な側面に、消費者サービスの画一化の傾向があります。資本主義的見地から観察した場合、技術的な「ターミナル (空港ターミナルまたはコンピュータ端末の両方の意味おいて) 」には、機能的なビジネスの円滑化の為、画一的であることが要求されています。ローカルから抽出された地域文化の特異性は、これらビジネス装置の「地方的な味付け」として多く消費されています。また、この抽出された特異性は「消費者のニーズ」によって綿密に加工され、販売可能な「商品」として毎日、グローバルな生産ラインを経由して地球の裏側にまで配達されています。ここに複合的結合性が生成する、非常に重要な一面があります。つまり、文化が抽出・加工されるということも、更に運ばれて地球の裏側で誰かの生活の中に挿入されるということも、グローバリゼーションによって促進されている非常に現代的な、社会的・環境的変化であるということです。
私は、この画一的に「判り易く」噛み砕かれる前の、一見して「意味のない」ローカル性の観察に非常に興味を持っています。無意味な慣習についての観察は、文化的素粒子への考察を促します。私は最も平凡で最も日常的で無意味に見えるものの中にこそ、地域の文化的様相を特徴付ける最も重要な要素が混じっていると考えています。そしてこれが私が美術作家活動を通して探求し、プロジェクトによって視覚化したい文化的な気質性です。

 

Activity: Site-Specific Art Work

私の創作は現場における「日常」の観察から始まります。私はこの、現場から触発されるインスピレーションを作品化する為に、主にインスタレーションを使用します。しかし私はスタジオで既に完成した作品を現場に単にインストールするのではなく、現場の (地理、風土、慣習なども含む、多くの場合現場においてもっとも日常的に見える) 特性に最小限の変形を加えることにより、その印象をサイトスペシフィックインスタレーションとして視覚化します。前述の通り、私は文化的本質性の不可欠な要素は、既にその場に存在しているものであると考えています。この文化的本質性を視覚化する為に、私は日常風景の中に現場から触発された個人的な (つまり非日常的な) イマジネーションを一時的に挿入し、逆説的にその日常性に焦点を当てています。
現場の特異性を直感的に把握する為に、私は形式化した方法論を持ちません。多くの場合において私の作品は、素材の面からも、視覚的な面からも、明確な相似性を持っていません。しかしいずれの場合においても、現場の特性へシンボリックなフォームを与えることにより、人々の興味を促し、無意識の存在を意識化しようと試みまていす。おそらく、これらの作品を別の場所へインストールすれば、それは製作された現場におけるその作品程の意味合いは持たないでしょう。私の作品は制作される現場でのみ、サイトスペシフィックな作品として機能しています。
この作品の極端な一時性を補う為に、私はビデオ作品を利用します。これは単なる記録ビデオではなく、別の角度から異なった視点をプロジェクトに向ける為の、独立したビデオ作品として機能しています。

 

Artist Statement: Cultural Sketch

地域文化の観察はグローバル化する現代社会の観察でもあります。私は、アートを社会に対する個人の姿勢、またその活動をコミュニケーションツールであると考えています。この為、私は自身の文化的自覚を、実際的な越文化経験によって高めてゆきたいと思っています
私達の社会機関的環境は、自律性を持った独立的な個人の多角的な要求に順応するように発展しています。このような個人化が進む今日、私達は個人の何気ない行為が物理的に遠く離れた場所で思わぬリアクションを起こすという可能性を否定できなくなってきました。これは文化的な領域の問題だけではなく、私達(この同時代を共有するすべての人々)が、自覚する必要のある、新しい課題であるとも考えられます。
展覧会は、比較的容易に国境を横断するでしょう。しかしながら、急速で一方的な文化の挿入は、時に現代性の無自覚な暴力とも成り得ます。サイトスペシフィックアートをベースに私は、もっと日常的で、そしてももっと非日常的な地域文化の特性に注目しようとしています。作品を一方的に展示するだけではなく、異文化間での創作活動を通して文化的認識を広げ、その自覚の程度を高めてゆくこのプロセスそのものが、私の興味の中心です。またこれが、私が創作活動を通して追求するものでもあります

 

(参考文献: グローバーリゼーション 1999 ジョン・トムリンソン / 片岡 信 訳)

2008年7月7日 石井 潤'一郎